邪馬台国と倭国

日 時 平成26年3月2日(日)
場 所 兵庫県民会館
主 催 兵庫歴史研究会
 近畿圏でのセミナーとしてはめずらしく邪馬台国は福岡県西区
にあったという内容でした。(九州説)
 三世紀の貴重な資料である「魏志倭人伝」に邪馬台国への道
案内が出てきますが、大きく分けると次の4つに集約されます。
 ①発 着 ⇒ 帯方郡(朝鮮半島)から倭まで。
 ②経 路 ⇒ 陸行水行があって不彌国等に至る。
 ③所 要 ⇒ 水行十日陸行一月
 ④距 離 ⇒ 万二千余里 
・・・と記載されており、これが正確であれば当時の交通手段から考えて九州ということになるそうです。
 よって邪馬台国という女王国は不彌国のことであろうという仮説でした。 
 邪馬台国の大和説が成り立たないのは「魏志倭人伝」に「①郡より倭に・・、②不彌国に至る・・、③邪馬壱国の女王の都とする所・・、④郡より女王国に至る」を総合してのことである由。
 特に「女王国の東、海を渡ること千余里」を大和説は充足していないとされました。
 しかし「魏志倭人伝」に記載の距離や方向等々の正確性がいまだ不明であり、まだまだこの種の論争は続きそうです。(写真は卑弥呼が魏から下賜されたとされる三角縁神獣鏡のデプリカです。:ネット)