人麻呂の実像と伝説

日 時 平成26年3月9日(日)
場 所 夙川公民館
主 催 西宮市都市整備公社
 歌聖と呼ばれた柿本人麻呂ですが身分が低かったこともあって
万葉集以外に史料はほとんどありません。
 したがって生年は647年説もあれば667年説もあって実に20年も
誤差があり、没年も708年説や709年説がありはっきりしません。
 出身は現天理市を勢力下にしていた和爾氏の系統と言われて
おり、柿本寺跡や歌塚が同市に残っています。(写真)
 歌塚の伝説は、石見国(現島根県)で死んだ人麻呂の遺髪を妻の依羅娘子(よせみのおとめ)が持ち帰り埋葬したものとされていますが、これも定かではありません。
 ただ、人麻呂は万葉集に草壁皇子(689年没)や高市皇子(696年没)等の挽歌を残していることから、白村江の戦い(663年)から平城京遷都(710年)直前まで活躍していたであろうことは推測できます。
 万葉集には、「柿本朝臣人麻呂 石見国に在りて死に臨む時に 自ら傷みて作る歌一首・・・鴨山の 岩根しまける 我をかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ」とありますが、実際に死んだのは石見か大和か明解ではなく諸説があります。(題詞は編者の解釈であるため)
 しかし今では歌聖としてばかりではなく、防火防災の神として神社も各地にあるわけですが、これは名前のゴロ合わせによるものだとのことでした。(柿本人麻呂⇒火気元火止)