日 時 平成26年9月27日(土)
場 所 大手前大学
主 催 大手前大学史学研究所
古墳時代中期、5世紀に百舌鳥・古市古墳群の勢力が主導した
政権構造について、古墳の型式や埋葬品から解説がありました。
まず古墳ですが、時代とともにその大きさも様々で、埋葬品も又
しかりであり、権力が必ずしも安定しておらず、変遷(大和ー山城
ー河内ー和泉ー )していたことが推測できます。
特に埋葬品(例:甲冑)から畿内でも、交流のあった地域・断絶してしまった所、不仲な勢力が顕著です
その頃中国では魏が亡び、晋も衰えて、北魏が統一するまでの
120年間は不安定な状況にあったため、朝鮮半島では高句麗
が勢力を伸ばし、百済と対峙するようになります。
そこで百済は倭(日本)に軍事的要請を求めますが、その受皿
が百舌鳥・古市古墳群の勢力であったようです。
中国に朝貢した倭の五王(賛・珍・済・興・武)を支えた軍事
エリートもまた同勢力であったのではとのことでした。
因みにこの勢力は軍事を機軸に東アジア外交を展開した由。