吉田松陰と松下村塾

日 時 平成26年11月17日(月)
場 所 鳴尾公民館
主 催 鳴尾公民館推進員会
 来年のNHKの大河ドラマ「花燃ゆ」の放映に先立ち、ドラマ
を楽しく見るためのレクチャー(第1回)がありました。
 今回の主人公は吉田松陰の末妹・文(ふみ)ですが、あまり
知られていないのではないでしょうか。
 松陰は長州藩の下級武士・杉家の次男として生まれますが、
叔父の吉田大助(兵法師範)の早世により、6才で吉田家の養子になった人です。
 彼はやがて江戸へ出て佐久間象山に学び、これからは西洋文明を学ぶ大切さを痛感して、ペリー艦隊に乗船してアメリカに渡ろうとしますが、ペリーは日本と条約を結んだ直後で、日本との間に問題を起こすことを恐れ、松陰の申し出を拒否します。
 結局 命をかけた海外渡航計画は失敗に終わり、国元に送還され投獄されてしまいます。
 1年2月後に放免された松陰は謹慎ながら講義をするようになり、これが松下村塾(写真)へ発展します。
 この塾の評判を聞きつけた人々の入門が相次ぎ、松陰は身分を問わず入塾を許しますが、その中には後に文の配偶者になる久坂玄瑞をはじめ伊藤博文や高杉晋作などがいました。
 松陰は安政の大獄が始まりますと再び藩によって投獄されますが獄中でも意気軒昂で、「身分に関係なく志ある者が立ち上がり日本を変えよう」と訴え続けました。(つづく)