小田原攻め

日 時 平成26年12月8日(月)
場 所 兵庫県民会館
主 催 兵庫県芸術文化協会
 羽柴秀吉は、西日本(中国・四国・九州等)を平定し、いよ
いよ関東の征討に乗り出しました。(1590年)
 この時すでに三河の徳川家康は帰順しており、東北の
伊達正宗も遅参はしましたが、秀吉に頭を下げていたため
北条氏を残すのみの状況になっていました。
 小田原城はかつて上杉謙信に包囲されてもこれを退散させた名城であったので、北条方は最初からろう城のかまえで、この時の軍勢は氏直・氏政以下34000騎と言われています。
 他方 羽柴軍は秀吉の馬廻をはじめ、徳川家康(3万人)・前田利家(1.8万人)・織田信雄(1.5万人)・上杉景勝(1万人)・毛利輝元(0.5万人)等々、総勢215000人であった由です。
 圧倒的な軍勢を擁する羽柴勢は無理攻めせず、ただ包囲して相手の弱るのを待ち続けます。
 北条氏は以前に家康から秀吉に挨拶するよう助言されていましたがOKしませんでした。
 当時は情報網が不正確で、これほどの軍勢が攻め寄せてくるとは思いもよらなかったのでしょう。
 結局一夜城の演出もあり、3カ月後に黒田官兵衛が説得して開城させ、あっけなく終結いたしました。
 結果 城主・氏直は高野山へ追放、父・氏政は切腹となり北条は断絶して天下統一が完了しました。
 (写真は、復興小田原城です。ネット)