西摂の地名の歴史

日 時 平成27年1月16日(金)
場 所 宝塚西公民館
主 催 やまびこ友の会
 西摂の地名の由来について解説をしていただきました。
 西摂とは河内(大阪)と大和(奈良)を分ける生駒山系より西側
すなわち大阪や兵庫を指します。
 大阪は古来、浪速(なにわ)と呼ばれていましたが、これは
「なみはや」がなまったものであるとのことです。
 この浪速の津(港)には、その昔は淀川・寝屋川・大和川の三川が流れこみ、これらが土砂を運んできて、どんどん海が西へ移動して今日に至ったようです。
 この浪速に、大化改新の年(645)に孝徳天皇が遷都して「難波長柄豊崎宮」を築かれました。
 その宮から対岸(兵庫県側)を見て、「むこう⇒武庫(六児・務古・牟古・六甲)」と表現され、これが「武庫川(写真:ネット)」や「六甲山」の語源になった由です。
 また神戸の西を流れる苅藻川に沿った大きくて長い田畑地域を「長田」と命名、布引の滝から流れてきた川の周辺のいきいきとした田畑地域を「生田」と呼ばれるようになったとのこと。
 そして伝承ではありますが、中国の呉から流れついた姫君姉妹(呉服:クレハトリ、漢服:アヤハトリ)が糸を織ったことから「イトオリ⇒伊丹」や西宮(西の森の中に宮を造れの意)の鳴尾の漁師のエビス伝説、さらに「海人(あま:漁師の意)の岬」から「尼崎」が生まれたお話し等も聞かせていただきました。