文禄・慶長の役

日 時 平成27年1月19日(月)
場 所 兵庫県民会館
主 催 兵庫県芸術文化協会
 秀吉は中国・四国・九州を平定し、続いて関東の北条氏を軍門に
下して関東・東北も足下に治めて天下統一を果たします。
 そして主君・信長の野望でもあった世界を視野にいれ(貿易の利
武士の失業対策も)、中国・明の征討を決意します。
 秀吉は対馬(釜山まで50㎞)の宗氏に命じて李氏朝鮮(李成桂
が高麗を倒して統一した国家)に服従を要求するも、元々朝鮮国は明国の冊封国であったため、ならぬ相談でした。
 秀吉は征明のため朝鮮国に先導をさせるつもりでしたが、これを拒否されため1592年3月に16万の軍勢を9軍に編成して渡海を命じます。(文禄の役)
 この頃朝鮮国の朝廷内部は一枚岩ではなく、また準備不足もあって日本軍は当初攻勢によって漢城(現ソウル)を陥落させますが、水軍が敗れたために徐々に劣勢となりました。
 その後 日明間で講和交渉がもたれますが、結局 秀吉の提示した和議案(明皇帝の皇女を天皇の妃とする、朝鮮領土を割譲する、勘合貿易を行う・・・等々)は全く無視され講和は破綻します。
 そこで1597年に戦闘が再開されるに到ります。(慶長の役)
 しかし翌年8月に秀吉が死去したため日本は撤兵しますが、実際の戦いは11月まで続いた由でした。