平安京を築いた桓武天皇

日 時 平成27年2月24日(火)
場 所 宝塚男女共同参画センター
主 催 まなびの会
 平安京(京都)は794年に桓武天皇が遷都して1000年
以上にわたって日本の中心として栄えました。
 当初は大和に都が置かれていましたが、桓武天皇によって
長岡京経由で移されたものです。
 これは、①奈良の仏教勢力が大きくなりすぎたこと、②王朝
が天武系から天智系に移ったこと等によるものだそうです。
 これには百済王の一族や秦一族等の渡来人の大きな支援がありましたが、それは桓武天皇の母が渡来系の人であったことから容易に想像ができます。
 なお、渡来人とは応神天皇の頃から海を渡って来た人達で、特に白村江の戦い(日本・百済VS唐・新羅)によって百済人が大挙移り住んだのが中心のようです。
 桓武天皇は元々天皇になれる位置にはなく、光仁天皇(父)と井上皇后の間に他戸皇子という皇太子がいましたが、この皇后と皇太子が父である光仁天皇を呪詛したという理由で廃后・廃太子となったために浮上したものです。(続日本紀)
 また長岡京はたったの10年でしたが、これは近親者の不孝や天災等によるものであり、その後に末永く安泰でありますようにとの意味をこめて「平安京」と名付け京都に遷都いたしました。