平泉から義経を追う

日 時 平成24年3月10日(土)
場 所 芦屋公民館
講 師 芝垣哲夫氏(アメリカン大学客員教授)
 20年以上前に「ジンギスカンは義経であった・・・」という
内容の小説を読んだことがありましたが、そのまま時を過
ごしていましたところ、本日その可能性についてご教示を
賜るという機会に恵まれました。
 義経は歴史的には平泉の衣川で藤原泰衡に攻められて
自害したことになっていますが、本日の仮説は東北→北海道→大陸へ渡ったルートのことや東北・北海道各地に義経に関する伝説や史跡等があることなどによるお話でした。
 義経とジンギスが同一人物であるためには、①同時期に生まれ、同時代に活躍したこと。②義経が歴史から消えてから、ジンギスが現れたこと。(義経が日本に居た時、ジンギスは蒙古に居なかったこと。)が最低条件になります。ところが・・・
 ①は、義経は1159年生まれ、ジンギスは1158年生まれと言われている。
 ②は、ジンギスが歴史に名が出たのが1193年で、義経はその4年前に死んでいる。 さらに、
 「源義経殿(汗)」を音読みしますと「ゲンギケイカン」となり、訛って「ジンギスカン」となった説もあります。
 事実の有無はともかくとしまして、日本人の判官びいきが伝説や仮説を生んだとも思われ、ちょっとロマンに浸ったしだいです。(写真は義経が匿われていた平泉にある中尊寺です。)