摂津国のあけぼの

日 時 平成24年3月11日(日)
場 所 芦屋公民館
講 師 森岡秀人氏(芦屋教育委員会)
 我々の生活の舞台である阪神間は、古代の摂津という地域の
生い立ちに深いかかわりがあります。
 摂津エリアは、総じて政治的・経済的あるいは交通の要衝として
栄えてきました。
 摂津国の誕生は通説では天智朝初期の段階であると考えられて
いますが、これは改新詔を経て大宝・養老律令で、大和国・山背国・河内国・和泉国とともに摂津国が「畿内」と定められていること等からうかがえます。
 摂津国の範囲ですが、西は播磨国、東は山城・河内国に囲まれた地域であったと考えられており、八部郡・兎原郡・有馬郡・武庫郡・河辺郡・能勢郡・豊島郡・島下郡・島上郡・東生郡・西成郡・住吉郡から成っていたようです。
 この摂津はその立地から、①水上交通・物流や文化の伝播の中継地であった、②外来系土器の交流や橋渡しの地であった、③古墳築造集団の通交要衝であった、④難波京遷都に伴う海路の発達・整備や迎賓儀礼用施設の建設があった等々でかなりの潜在力がありました。
 摂津の求心力は、4世紀末頃から助走が始まり、7〜8世紀には寺院や郡家等が形成されています。
 いづれにしろ、摂津国は海との繋がりがいかに重要であったかということにつきると思われます。