百人一首の謎に迫る

日 時 平成29年1月5日(木) 13時30分〜15時
 1月にふさわしく「百人一首」についてのセミナーがありました。
 「百人一首」は鎌倉時代に藤原定家により作られたものですが
当初のきっかけは、為家(定家の息子)の正妻の父(元鎌倉幕府
の役人で、職を辞して娘の嫁ぎ先の近くに隠居所をかまえている
人物)の依頼で色紙を所望されたことに始まります。
 この時定家はすでに高齢(74才)であったことでもあり、いったん
は断りますが、たっての願いとあって引き受けたものです。
 そこで定家は古来の人から各一首を選択しますが、この基準については不明でおそらく定家の独断であったと思われます。
 この作業が終了した後、二条家(定家の家)ではこれがちょうど和歌の勉強に適当なものであるとして、代々テキストとして継承していったようです。(その後二条家から京極・冷泉家が分家される)
 さてこの「百人一首」が今日のようにカルタ化されたのは、江戸時代初期と言われており、外国から「南蛮カルタ(トランプのようなもの)」が伝来し、元々日本にあった「貝合わせ(トランプの神経衰弱のようなもの)」や「偏継ぎ(ヘンとツクリの各カードを組合せて漢字を作る遊び)」等と組み合わされたものであるようです。
 毎年1月7日に開催される「百人一首」の名人戦・クイーン戦は一番札の作者:天智天皇が祭神とされる「近江神社」が会場になっています。
 (天智天皇は、645年の大化改新の立役者:中大兄皇子です。)