日 時 平成29年2月20日(月)13時30分〜15時
日本武尊(ヤマトタケル)は記紀によれば第12代景行天皇
の次男(双子の弟)ということですが、実は実在した人物では
なく、今では架空の英雄ではとされているようです。
これは各地の征服伝承を一人の人物の功績としてまとめ、
その物語もかなり脚色されたものである可能性が大です。
まず西征(熊襲征討)の話しですが、日本書紀では自分
で行くと名乗り出たとされ、古事記では乱暴ぶりを恐れた
天皇が西征を命じたことになっています。
相手は川上タケルで、酒を飲ませて刺し殺すのですが、川上タケルが死ぬ前に名前を聞くと「ヤマトヲグナ」と名乗ったので、今後は「ヤマトタケルと称すべし」と言ったので今に至るまでその名を称している由。
ヤマトタケルはその後、出雲を平定して都に帰るも、今度は東の蝦夷征討を命じられ東征します。
おそらく、熊襲征討・出雲征討・蝦夷征討・・・は各々単独だったものを一人に集約したものと思われます。
これは戦い方を見ても、西征は武力制圧であり、東征は平和的解決であることからも想像できます。
ヤマトタケルは東征では「蝦夷の悪者は全て罪に伏した。」とされ、尾張まで帰りつきますが、さらに荒ぶる神のことを聞き、伊吹山に登るも病気となってついに亡くなります。(その後タケルは白鳥になる由)
結局「ヤマトタケル」とは特定の人ではなく、「ヤマトの勇者」という意味だと思われるとのことでした。
(写真は、伊吹山頂上に立つヤマトタケルの像;ネットから)