日 時 平成29年8月10日(木)14時〜15時30分
関西文化に育まれた文学として、与謝野晶子の「君 死に
たまふこと勿れ」を主な題材としたセミナーがありました。
与謝野晶子(旧姓:鳳志よう)は、堺の駿河屋に1878年に
生まれ、もっぱら店番として青春を過ごしました。
兄が東京の学校へ行っていたことから、東京の雑誌やら
新聞等を時々送ってくれるのですが、その中に与謝野鉄幹の
和歌を発見し、その現代的な感覚に感動してしまいます。
やがて鉄幹が関西に講演会の講師として来阪し、晶子と急速に親しくなっていきました。
この頃鉄幹は内縁の妻と子が居て、その妻の実家から経済的援助も受けていたようですが、これらを捨て二人は駆け落ち状態で結婚いたします。
そして「みだれ髪」を発表しますが、この中の一番の話題作が「やわ肌の あつき血汐に ふれも見で 寂しからずや 道を説く君」(燃える肌を抱くこともなく、人生を語り続けて寂しくないの)でした。
やがて日露戦争が起こり、弟が召集されて激戦地・旅順に配属されたので、ついに反戦歌(?)とも言うべき次の歌を送り、世間にも発表して物議をかもします。すなわち・・・・・
「ああ をとうとよ 君を泣く 君死にたまふこと勿れ 末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも 親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしえしや 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや(後略)」
因みに弟は商人で字が書けたため、書記官として本部勤務で戦場には行かず、無事帰還いたします。