日 時 平成29年9月4日(月)10時45分〜12時15分
三韓の時代(高句麗・百済・新羅)に韓半島の南部に位置した
伽耶についてのお話しです。(百済と新羅の間)
日本書紀には「任那」と記述されています。
伽耶はBC1世紀からAD6世紀中葉に存在し、三韓と異なり小国
(大伽耶・金官伽耶等々)の連盟体でした。
この伽耶は鉄器文化が栄え、三韓の各王朝や倭国も重宝して
いましたが、やがて6世紀に中央集権体制への対応不足等も
あって、新羅に併合され滅亡してしまいました。
この伽耶にも三韓と同じような神話があり、たとえば金官伽耶の
始祖・金首露王(キム・スロ王)の場合は・・・・・
①この地にまだ国はなく、各部族の酋長が統治していた。
②ある時、空から紫のひもが落とされ、その先に金箱があった。
③その箱には黄金の卵が六つ入っていた。
④その卵から6人の男子が生まれ、最初の子がスロ王となった。
なお、この首露王の妃となった人はインドの王女(許黄玉)で、
王との間に10人の息子をもうけたとのことでした。