暴君から名君へ

日 時 平成30年3月5日(月)10時〜11時30分
 第21代雄略天皇に焦点を当てたセミナーでした。
 聖帝と言われた第16代仁徳天皇の後をその子供達が次々と
皇位を継承いたします。
 すなわち、第17代履中天皇(長男)、第18代反正天皇(三男)
第19代允恭天皇(四男)たちです。
 その後、允恭天皇の子が第20代安康天皇として皇位を継承
いたします。
 その次が今回の主役である第21代雄略天皇(允恭天皇の子・大長谷命)ということになります。
 この時のライバルは、履中天皇の子・市辺之忍歯王でした。
 古事記では、忍歯があざむいて大長谷を狩場で殺そうともくろんだと書いていますが、日本書紀では反対に大長谷が忍歯を騙して狩りに連れ出し誅殺したと述べています。
 そのわけは、兄の安康天皇が忍歯に皇位を継がせようとしたのを恨んだためとされています。
 つまり次期天皇の座を約束されていた忍歯を大長谷が実力で排除したことになります。
 日本書紀ではさらに忍歯の実弟をも大長谷が処刑したとされています。
 要するに大長谷は天皇になるために競争相手を次々と抹殺いたしました。
 この結果 大長谷は第21代雄略天皇として即位いたします。
 即位した当初は女性問題や人を処刑するなど暴君でしたが、その後はヤマトの強化に注力した由です。