日 時 平成30年8月8日(水)11時〜12時30分
西郷隆盛の流刑とその前後に起きた安政の大獄の話しです。
1858年(安政5年)の4月に大老に就任した井伊直弼は、
天皇の勅許を得ることなく日米通商修好条約を締結し、これに
抗議した尾張・水戸・一橋等を不時登城(登城の日でないのに
登城したこと)を理由にこれらを謹慎させてしまいます。
そして、なおかつ「密勅」(秘密の勅命)の動きを察知した
井伊は次々と関係者を捕縛する等、いわゆる「安政の大獄」を
始めていきます。
その頃、西郷は月照と入水するも蘇生し、翌年1月に奄美大島へ流罪となり、島の娘と結婚します。
また同年10月には、西郷が尊敬していた橋本左内が捕縛されて伝馬町の牢で斬首となり、その知らせを島で聞いた西郷は悲憤にくれてしまいました。
しかし、1860年(安政7年)に井伊直弼が桜田門外(写真)で暗殺されたことを聞き、これには反対に狂喜したそうです。
やがて1862年(文久2年)に帰国が許されますが、国父・久光の上洛計画に反対したため、今度は徳之島(後に沖永良部島)へ再び流されました。
この時に陽明学者・川口雪蓬と出会い、「敬天愛人」(天を敬い、人を愛する)の基になる思想が確立されたと言われています。