日 時 平成30年12月18日(火)13時30分〜15時
古典の中で多くの人に知られている百人一首について、例を
あげながらその矛盾点等のお話しがありました。
その例としまして、蝉丸(これやこのゆくもかへるも別れては
知るも知らぬもあふ坂の関)を示されました。
まず蝉丸自身についてですが、世阿弥の謡曲によれば、
醍醐天皇の第4皇子として生まれるも盲目であったため、逢坂
山に捨てられたとなっていますが、一方今昔物語では宇多天皇
の皇子・敦実親王の雑用係となっており、目が不自由になったため逢坂山に隠遁したとされている由。
またこの歌は村上天皇の勅撰集・後撰和歌集(巻15・1089)にもあるとのことで、その言葉書きに「・・・・行き交う人を見て」詠んだとあり、それなら盲目ではなかったことになります。
さてさて、何が真実なのでしょうか。
次に、小野小町(花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に)をご紹介いただきましたが、一般的には容姿の衰えについて詠んだ歌とされています。
しかし彼女は生没不詳・出目不詳で本当に美人であったか否かも確証がないとのことですので、もしブスであったなら歌の解釈も微妙になってきます。
その他、天智天皇(秋の田の仮庵の庵の苫を粗み我がころもでは露に濡れつつ)の歌は農民が詠んだもののようにも思われるし、柿本人麻呂や大伴家持の歌も作者が違う可能性があるとのことでした。