西の守り・尼崎城と尼崎藩

日 時 2019年2月21日(木)10時〜11時30分
 尼崎藩は1617年に戸田氏鉄が立藩し、幕府の命により
尼崎城を築城いたしました。
 尼崎藩は東は神崎、西は兵庫・須磨まで、北に六甲山系を
抱え、沿岸沿いにまとまった領地を支配していました。(5万石)
 阪神間に重要な存在を示したその尼崎藩の支配について、
ご教示賜りました。
 江戸幕府の関西の拠点は当初伏見に置かれていましたが
その後大坂に移り、その大坂を守るひとつの藩と位置付けられたのが尼崎藩でした。
 したがって藩主家は譜代大名とされ、戸田家→青山家→松平家が承継されてきました。
 尼崎城は大坂城を守る軍事拠点のひとつで、天守も造られた本格的な城ですが、石材・木材等の管理とその輸送の確保も主な業務でした。
 その他、藩主家別に見てみますと・・・
 ・戸田家:大坂城普請総奉行等(普請材調達のサポート)
 ・青山家:大坂城の修復等(落雷による火災の発生時)
 ・松平家:大坂・尼崎の火災に備えた準備等
なお江戸時代も100年を経過した頃から尼崎藩も軍事的役割よりも、関西の経済に軸足が移り、阪神間の領地は幕府直轄が多くなって、そのかわりとして地方の領地を拝領することになっていった由でした。