敗戦と陸軍

日 時 2019年3月8日(金)14時〜15時30分
 1945年・第2次世界大戦の敗戦を日本陸軍の指導者達は
どのように迎えたのでしょうか。
 今回は8月15日未明に自ら命を絶った陸軍大臣・阿南惟幾
について考えるというセミナーでした。
 阿南惟幾の略歴は・・・
 ・1887年:東京に生まれる。
 ・1905年:陸軍士官学校を卒業。
 ・1918年:陸軍大学校を卒業。(その後、シベリア出兵に従軍・フランス留学)
 ・1934年:東京陸軍幼年学校長(〜1936年)
 ・1942年:第2方面軍司令官として中国・東南アジアに派遣。(〜1944年)
 そして1945年(昭和20年)に陸軍大臣に就任(4/5)、御前会議(6/8)、沖縄戦終結(6/23)、広島・長崎に原爆投下(8/6・8/9)、玉音放送(8/15)と続き、その未明に自決しました。
 その前日(8/14)の御前会議で日本は降伏を決定(ポツダム宣言を受託)しましたが、阿南の義弟・竹下中佐ら若い将校はこれに反対でした。(阿南は政府の人間でしたので、板ばさみになります。)
 陸軍(若い将校)は近衛師団を中心にひそかにクーデターを計画し、竹下は阿南の説得にかかりますが、阿南はすでに自刃を決意していたので、竹下はくしくもこれに立ち会うことになったとのこと。
 なお辞世は「大君ノ深キ恵ニ浴シ身ハ言ヒ残スベキ片言モナシ」です。(クーデターは中止になる)