日 時 2019年6月7日(金)13時〜14時30分
文学を映画化したために、これが良くなった場合と、そうで
ない場合があり、そのひとつの例として川端康成の「伊豆の
踊子」をあげて解説をしていただきました。
この小説の書き出しは、「道がつづら折りになって、いよいよ
天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら
すさまじい早さで麓から私を追って来た。」ですが、この文書の
主語は「私」ではなく「雨脚」です。
川端の文書はこのようにあいまいながらも、読んでいくうちに解ればよいというスタイルである由。
解説はまず小説のストーリから始まりました。
一高生という社会のピラミッドの頂点にいる男と、最下層の旅芸人の娘の話しで、ある文学解説者の言によれば「物語の始めでは雨によって追われ、それから水によって清められ、最後には主人公が澄んだ水そのものに変化している。孤児根性が踊子や水によって清められたのである。したがってこれは恋愛小説というよりも、少女や自然によって性格のよごれを洗い落してもらった人間の物語である。」・・・とのこと。
次にこの小説が映画化された映像を見せていただきました。
講師は「映画を平気な顔で楽しく見ていられるのは、映画が原作を非常に離れているからである。」由。
映画を見てから小説を読む人は、原作のあっけなさにあきれるかもしれない・・・とのこと。
すなわち小説の映画化は、原作に対する批評のひとつの形でもあるとのことでした。