日 時 2019年7月13日(土)13時30分〜15時
考古学からみた古代の大坂、特に難波宮・京を中心としたお話
しがありました。
まず、古代とは7世紀から11世紀を言います。
大坂のことを作家・司馬遼太郎氏は「政権を滅ぼす都」と表現さ
れたのだとか。
さて難波宮ですが、前期と後期に分かれる由にて・・・
・前期:大化改新後、孝徳天皇が大和から遷都(7世紀)
・後期:聖武天皇のもと再建(前期の焼失による、8世紀)
そして難波京としましては3つの段階があるとのことで、それは調査の成果として・・・
・初期難波京:前期難波宮の建設に伴い整備された孝徳朝のもの。
・前期難波京:天武朝の複都制の詔(683年)により建設(686年焼亡)
・後期難波京:聖武朝に再建に着手(726年)、しかし長岡遷都により廃絶(784年)
・・・と説明出来るとのことでした。
次に大化改新についてですが、近年「大化改新否定論」もあるとのことですが、少なくても木管などの研究により、官僚制と公地公民制の創出は可能性が高い由です。
そして中央集権的な政治システムの導入に伴い、一定の広さをもった区画で国土を覆うという壮大な青写真が描かれ、そのための場所が選ばれたことと難波宮がリンクしているのではと思われました。