オリンピックを呼んだ男

日 時 2019年7月30日(火)13時30分〜15時
 戦前の東京オリンピック招致(戦争により中止)の功労者は
嘉納治五郎ですが、1964(昭和39)年に実現した第18回オリ
ンピック東京大会の功労者は田畑政治であると言えます。
(NHK大河ドラマ「いだてん」の後半の主人公)
 彼は1898(明治31)年に浜松市で誕生いたしました。
 浜名湖一帯は水泳の盛んな土地柄で、彼も水泳部に入って
頭角を現していきましたが、中学4年生の時に慢性盲腸炎・
大腸カタルを併発し、医者から「泳いだら死ぬ」と言われて選手を断念し、指導者に転身しました。
 その後彼は東京帝国大学を卒業すると、朝日新聞に入社し、新聞記者になりました。
 そして水泳の全国組織・大日本水泳競技連盟が出来るや、東海地方代表として理事に就任します。
 第1次世界大戦後は水泳のオリンピック参加に尽力し、1928(昭和3)年のアムステルダムオリンピックに10名の選手を派遣して、平泳ぎで金メダル、自由形で銅メダル、リレーで銀メダルを獲得し、その後も日本代表監督を勤めながら「競泳は日本のお家芸」と言われるまでに成長させました。
 やがて彼は日本にオリンピックを招致するべく尽力しますが、1962(昭和37)年のアジア競技会の紛争の責任を取らせれる形で、JOC役員を辞任します。
 その後彼の敷いたレールにより東京オリンピックは実現し、いち国民としてスタンドから身を乗り出して選手たちを応援したとのことでした。。