日 時 2020年9月4日(金)13時〜14時30分
桓武天皇は794年の平安遷都の際、平城京時の反省(仏教
が政治に影響を与える等々)から、政策上 官寺の東寺と西寺
を除いて寺院を置かないことにしたのだとか。
しかし10世紀も後半になりますと、かなり偶発的で自然発生
的に小堂が建立されるようになり、そのような原則寺号を持た
ない「堂」について解説がありました。
これら小堂は観音や薬師等の信仰を目的としたもので、庶民
の間に信仰され、やがて貴族の帰依も得るようになります。
特に室町時代後期になりますと経済力で勢力を伸ばし、自治的な組織力を持つようになって(「町衆」)、「町堂」とも呼ばれた由で、もっぱら便宜的な人の集まりやすい場所として用いられたとのことです。
そうした町堂の代表格が下京の「六角堂(写真)」「因幡堂」、上京の「革堂」などです。
伝承によれば、「六角堂」の本尊・如意輪観音は聖徳太子が淡路にて見つけたものとのことであり、ここは華道・池坊とも深いかかわりがあります。
また「因幡堂」は因幡守行平の邸宅跡にあり、行平が赴任していた因幡から薬師如来像が行平邸に飛来したとの伝承がある由。
「革堂」は行円(道を開いたり、架橋したり、貧民に施行したりした聖僧)の創建であるとのことでした。