日 時 2021年2月17日(水)11時〜12時30分
NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」が終わりましたが、今回は
放送にはなかった”光秀の最期”についてのお話しでした。
「本能寺の変」から「光秀の最期」までを、順を追ってみて
いきますと・・・
<天正10年(1582年)6月2日> 本能寺の変が起こる。
<6月5日> 光秀は坂本城から安土城へ移動する。
(信長の茶器類等の接収や諸将への書状作成等々)
<6月7日> 吉田兼見が訪れ、都を光秀に任すとの意向を伝える。
<6月8日> 安土城を明智秀満に任せ、光秀は坂本城へ帰城する。
<6月9日> 光秀は上洛し、朝廷や五山(天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)などに献金する。
丹後の細川藤孝から「藤孝・忠興父子は信長追悼のため髪を切った」との書状を受けとる。
光秀は下鳥羽→洞ヶ峠(筒井順慶が気懸り)へ出陣する。
<6月10日> 秀吉が尼崎城へ入場したとの知らせが入る。
<6月13日> 山崎の合戦始まる。(秀吉軍は疲労で、主に摂津の大名らが活躍する)
光秀は敗北して勝竜寺城に後退し、その夜に城を抜け出し坂本城を目指す。
そして小栗栖で襲われる。(「太田牛一旧記」による)
その時に光秀は落命したとも、それは影武者で後々まで生きたとも言われておりますが・・・???