芦屋河畔の文学・歴史から

日 時 平成24年4月11日(水)
場 所 芦屋公民館
講 師 田辺眞人氏(園田学園女子大学名誉教授)
 伊勢物語に「むかし、をとこ、津の国、うばら郡、蘆屋の里に
しるよしして、いきて住みけり・・・」と今の芦屋が見えます。
 またこのたび芦屋川が景観文化財に指定されたこともあって
今回は芦屋河畔に関するお話しを承りました。
 芦屋川上流の水車谷(麦・米をとぐ)から始まり、鷹尾山(城山
・・・1511年の芦屋川原の戦い)〜阪神大水害の出水地(616㎜の降水量、「細雪」にも出てくる)〜猿丸安時の顕彰碑(庄屋、奥池を造った功績)〜芦屋川底トンネル(明治7年に完成)〜業平橋(「伊勢物語」にちなんで)等々のご説明がありました。
 そして下流にある怪物の墓「鵺塚」のお話しに移り、これは「摂津名所図会」に「鵺塚、芦屋川住吉川の間にあり。むかし源三位頼政、蟇目にて射落したる化鳥、うつぼむねに乗せて西海へ流す。此浦に流れよりて止まるを浦人ここに埋むといふ・・・」とあることによります。
 1153年の夏、当時の近衛天皇が不可解な病に悩まされていまして、どうも御所の上空にわきあがる黒雲の中のぶきみな鳴き声が原因と考え、頼政がこれを一矢で射落したところ、「頭は猿、身は狸、尾は蛇、手足は虎」の怪物で、この遺体を海へ流したのが芦屋川と住吉川の間に流れ着いたとのことで、今では芦屋川の河口近くの松林の中に「鵺塚」(石碑)が建っているだけです。