日 時 平成24年4月17日(火)
場 所 宝塚市立男女共同参画センター
講 師 からあい企画の皆様
和泉式部とは、最初の夫の任国と父の官名を合わせたもので
歌人としてのみならず、恋の遍歴でも名をはせた女人です。
紫式部をして、「和歌は一流だが、素行は感心できない。」と
言わしめたほどです。
最初の結婚は式部19才の時、相手は名門の橘 道貞(31才)で
和泉守に任官し2人の間には娘・小式部内侍が生まれております。
しかし式部は夫がある身で、冷泉天皇の皇子である為尊親王と深い中になり、その身分違いもあって父親に勘当されてしまいます。
そして為尊親王が亡くなると、その弟の敦道親王とも恋に落ち、この時の顛末を書いたのがあの有名な「和泉式部日記」なのです。
やがて敦道親王も逝去しますが、式部は才能を買われて藤原道長の娘で中宮の彰子に出仕します。
その後33才で道長の薦めもあってか、いち族の藤原保昌(55才)と再婚して、夫の赴任先である丹後に下っています。
百人一首にある式部の歌は、「あらざらむ この世のほかの おもひでに いまひとたびの 逢うこともがな」で、娘・小式部内侍も「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立」と詠っています。