清盛ゆかりの人々 「藤原 頼長」

平成24年5月8日(火)午後の部で実施
場所: 明石市男女共同参画センター
主催: 兵庫県芸術文化協会
講師: 茨城一成氏 (日本歴史学会会員)
 父は太政大臣・藤原忠美。母は藤原盛実の娘で、兄は関白の
藤原忠通。兄に代わって藤原氏の長者の地位を獲得。
このころになると、皇族・大貴族・大寺社に地方の国を割り当て
たので、それらに、権力と財力が集中することとなりました。
 頼長は内覧として古儀復興・粛清に取り組みますが、その苛烈で妥協をしない性格により、「悪左負」と呼ばれました。幼名は「菖蒲若」という可愛い名前です。5月に生まれたので、「菖蒲若」と名付けられたそうです。平安末期に書かれた歴史物語「今鏡」には頼長の人柄が書かれていて、「左の大臣は、御みめも良く身の御才(おほむざえ)も広き人になむ聞こえ給ひし。」とあり、見てくれは良かったようですが、行事に遅れてくる人の家を燃やして破壊してしまいました。「悪左負」と呼ばれる所以です。
また、崇徳院に味方して保元の乱を起こしますが、所詮戦いには素人でボロ敗けとなり、流れ矢に当たりわずか37歳で亡くなってしまいます。
藤原 頼長が目ざしたのは、現在の大阪市の橋本市長のような「改革」ですが、改革には反対勢力が抵抗するのは、今も昔も変わりません。