「加藤清正は本当に秀吉の忠臣だったのか」

平成24年5月16日(水)午前 午後の部で実施
場所:宝塚市男女共同参画センター
主催:みれん歴史歩こう会の皆様
 加藤清正公の虎退治の話は、我々の年代の日本人は良く知った
話で、今回は主にそれ以外の清正公について勉強しました。
 清正の身長は当時としては大柄で、ダルビシュ有のように
恵まれた体をしていたようです。天正10年本能寺の変が起き、
清正は秀吉に従って山崎の戦いに参加、翌年の賤ヶ岳の戦いでは
敵将・山路正国を打ち取ると秀吉より、「賤ヶ岳七本槍の一人」として、ご褒美をいただきますが、その椀力には、誰も相手に出来なかったそうです。
 また秀吉の命により、朝鮮侵略を行い、韓国蔚山籠城を仮の拠点にして数々の朝鮮侵略を行ました。朝鮮侵略を行った主な理由は、家来に出す褒美が無くなったのがその主な理由のようです。
 また、清正は「藤堂高虎」と並ぶ築城の名手として知られ、特に熊本県内には、今でも清正による遺構が数多く存在していて、400年後の現在も使われている遺構が沢山残っています。城は、①場所、②縄張り、③土木技術、④築城技術の4点が大切で、これらは主に、農閑期に行い給金も支払われたそうです。
 これらの事柄から、清正は秀吉に本当に忠臣したと思われます。
 現在はほとんどの工事が3月竣工で量も減り、淋しい限りではありますが・・・。