春秋・戦国時代の社会

日 時 平成24年6月18日(月)
場 所 園田学園女子大学
講 師 桐藤 薫氏(園田学園女子大学講師)
 中国では前8世紀頃になりますと、周王朝も衰退をみせはじめ
王朝を支えていた諸侯同士の争いが原因となって東西に分裂し
東周が西周を滅ぼしてしまいます。
 東周時代とは、前770年から秦の始皇帝が中国を統一する年
である前221年までを言いますが、これを前後に二分して前半
(前770年〜前476年)を「春秋時代」、後半(前475年〜前221年)を「戦国時代」とも呼びます。
 この時代は周王を冠にしてはいるものの、諸侯が力をつけてきて、北方には「晋・斉・宋・秦・・・」等が、また南方には「楚・呉・越・・・」等が割拠いたします。
 リーダー格(覇者)は、北方グループでは「斉」が、南方グループでは「楚」がいわゆる盟主となりますが、これは前者は海岸に近くて人間に必要な食塩を生産していた優位性があり、後者は何と言っても武力の強さにありました。
 このように群雄割拠する中、周のみが独占していた青銅器の技術が流失しはじめ、加えて西アジアのヒッタイト帝国がこれまた独占していた製鉄技術も四方に伝播し、各国はこれらをいち早く取り入れて武器はもちろんのこと、農耕用具も改善されて農地の大規模開発が可能になりました。
 特に西アジアに近い「秦」はこれで力をつけ、後に中国統一をなすことになります。