戦国時代から秦の全国統一へ

日 時 平成24年6月25日(月)
場 所 園田学園女子大学
講 師 桐藤 薫氏(園田学園女子大学講師)
 中国の戦国時代の「戦国」の名称は、17世紀清王朝になって
から一般的に用いられるようになりましたが、それまでは「六国
の世(又は時)」と呼ばれていました。
 六国とは、「楚・斉・燕・韓・魏・趙」のことで、これに「秦」を加え
て「七国の世(又は時)」とすることもあった由です。
 このような乱世にあって、西方に位置する「秦」が徐々に力をつけ、ついに前253年に上帝(殷王朝の最高神)を祀る行事を行い、周に代わる王朝の樹立を宣言いたしました。
 しかし、これで諸国が「秦」に従ったわけではなく、政(後の始皇帝)の代になって他国へ軍事行動を開始することになります。
 「秦」の強さは、軍隊では騎馬部隊を組織化(趙に学ぶ)したり、武器に鉄や青銅を積極的に取り入れ(西アジアの技術を導入)たりしたこと。
 また政治面では、法を改革して身分にかかわらず実力主義を採用し、商業で富国を計ったこと。
 さらに荒地の開拓(韓に学ぶ)をすすめて、農業資源を拡大したこと等々にありました。
 やがて前述の六国を次々と滅亡に追いやり、天下統一という事業を完成させます。
 (写真は始皇帝の馬車の模型)