清盛ゆかりの人々 「源 頼政」

平成24年7月10日(火) 午後の部で実施
場所:明石市男女共同参画センター
主催:(財) 兵庫県芸術文化協会
講師:茨木一成氏(日本歴史学会会員)
 頼政は、軍事的にはコレといった目覚ましい戦功は無く、
歌が上手で、今でいう宴会部長のような役割を務めました。
 保元の乱では、後白河院に従い戦功を上げますが、行賞には
至りません。そして保元の乱、平治の乱では平氏方に参加し、
戦後は平氏政権下で源氏の長老として中央政界に留まります。平清盛から信頼され、晩年には武士としては破格の従三位に登ります。しかし、平氏の專横に不満が高まる中で、以仁王と組んで平氏打倒の挙兵を計画し、諸国の源氏に平氏打倒の(令旨)を出してしまいます。「論旨という命令は天皇の命令で、一般の皇族は(令旨)の命令しか出せないそうです」しかし計画が露見して準備不足のまま挙兵を余儀なくされ、平氏の追討ちを受けて宇治平等院の戦いで敗れ自害となりました。
 頼政自身はあまり戦いが上手とは言えず、戦争の仕方は総て他力本願です。無理やり夜間行軍を行い、似仁王が疲労して落馬し休息中に平氏の大軍に宇治川を強行突破され、平等院に籠りますが多勢に無勢で、自害するしか残った方法は在りません。世の中の仕組みを知らない親分が勝手に走ると、下の者が迷惑するのは今も昔も変わりません。