清和源氏と摂津の国

日 時 平成24年8月21日(火)
場 所 池田泉州銀行講堂
講 師 田辺眞人氏(園田学園女子大学)
 大河ドラマ「平 清盛」もいよいよ佳境に入ってまいりまし
たが、源氏あっての平家であり、その源氏のルーツ等に
ついてお話しをお伺いいたしました。
 桓武天皇が794年に平安遷都(長岡京経由)された
理由のひとつに、律令制度(公地公民、班田収授、租・庸・
調等々を文書化した国のルール=法律)の行き詰まりがありました。
 国は民に土地開墾を奨励しますがなかなか進まず、仕方なく開墾した土地は三代にわたり私有を認めますが成果が得られず、結局 開墾土地は全て私有してもよいことにいたしました。(これを荘園という)
 私有を認められた土地所有者はこれを守るため、若者や従者を武装させ自警します。(これが武士)
 その武士がやがてネットワーク化して二大勢力に集約されたのが、「源氏」と「平家」というわけです。
 源氏は、清和天皇の孫・経基を初代とし、二代目・満仲の時代に多田庄(現・兵庫県川西市)を得て、頼義や義家の代では「前九年の役」「後三年の役」で功名をあげて関東・東北にまで名を広めます。
 また、京では藤原摂関家と結び、朝廷にも入り込みます。
 ただ、1192年に頼朝が鎌倉幕府を開いたため、源氏の地盤は関東であるかのごとく思われていますが、 そのルーツは摂津の国にあり、満仲等を祀った多田神社(写真)も存在いたします。