ひょうご講座 「福島原発事故とは何だったのか Ⅱ」

日 時 平成24年9月27日 (木) 午後の部で実施
場 所 県民会館
講 師 甲南大学理工学部教授 山本 常夏
 今回は各報告書、研究会の資料などをもとに、世界と日本の
原子力開発を追いかけて行きます。
 ①放射線の発見と物理の爆発的発見。 1895年、レントゲン
がX線を発見。 そして1939年、アインシュタインがルーズベ
ルト大統領にウランの連鎖反応を利用した爆弾開発を進めました。
 ②原爆開発と原子力の平和利用。 またシラードが原爆、フェルミが軽水路での発電の研究をしました。
 ③日本の原子力行政、放射性廃棄物の処分。 終戦後1952年、日本も原発を導入するように進められますが反対意見もあり、政府に勧告はやめました。 1954年、中曽根康弘議員が原子力予算案を国会に提出し、無理やり通しました。 (日本は資源が無いので原発は必要と) 1956年、原子力委員会発足。基礎研究より原発建設重視となり、内部でゴタゴタが起き、その混乱は現在まで続いています。 あの頃も今も、仕事中はネクタイを締めているほうが偉い。 ブルーカラーは駄目だという意見が多くて、現在も現場の人は余り信用されません。
 ④放射性廃棄物の処理。 日本の社会は原発反対なので、社会的に解決が非常に困難。 核燃料サイクルが成功しても、核廃棄物は必ず発生します。
 今国のほうで地層処分を考えていますが、日本人全体で荷物を担ぐ必要があります。