日 時 平成24年9月30日(日)
場 所 松方ホール
講 師 石野博信氏(兵庫県立考古博物館)
講 師 西谷 正 氏(九州歴史資料館)
邪馬台国論争は江戸時代中期以来280年以上の歴史を持って
いますが、解決されない問題が山積しており、かつ九州・近畿両説
とも決定的証拠に欠けるというのが現状でしょう。
まず石野氏から、女王・卑弥呼の王宮についてお伺いしました。
たとえば九州の吉野ヶ里遺跡は環濠に囲まれて中心的建物が2ヶ所あり、近畿の尺度遺跡は柵に囲まれていてやはり中心的な建物が二つあるとのこと。
邪馬台国が九州か近畿かは別としましても、王宮らしい所には宗教を取り仕切る「卑弥呼棟」と、政治を担当する「男弟棟」があって、国を統治していたのではと推測されました。
また西谷氏は邪馬台国論争で肝心なことは、「魏志倭人伝」における史実を検証しつつ、日本列島の諸地域の律令時代の考古学的調査・研究を推進することが重要と話されました。
「魏志倭人伝」は、邪馬台国の①地理情報、②生活情報、③外交情報で構成されており、内容的には記載誤りもあるでしょうが、それらを踏まえて状況証拠を積み上げていくことが、現時点ではたいへん大切なことであると締めくくられました。
邪馬台国論争は、永遠のロマンかもしれません。