平清盛の妻・時子 ーその栄華と没落のはざまでー

日 時 平成24年10月23日(火)午前 午後の部で実施
場 所 宝塚市男女共同参画センター
主 催 からあい企画の皆様
 平安時代末期の女性。 平清盛の妻。 出家後は(二位尼)
と呼ばれました。 父は平時信。 ー周辺人物はー「平時忠」
(平家にあらずんば人にあらず)と豪語したことで有名。 「建春
門院滋子」姉時子に説得され、後白河上皇に仕え平家一門
に繁栄をもたらす。 「後白河天皇」自分はわずか3年で二条
天皇に譲位し院政をはじめた。 清盛死後、源頼朝を官軍として平家討伐に走る。 まず四国・九州の兵が次々に寝返った。 そして一ノ谷の戦いで敗れ兵の大半を失いました。 その後しばらくは船での生活が続いたが、阿波国の田口成良に迎えられ讃岐屋島に本拠地を置くことができた。 その後屋島の西の島、讃岐国塩飽庄にいた平家軍を、海上から景時軍が陸上から義経軍が攻撃し、平家は100艘余りで安芸国厳島に退きました。 その後瀬戸内海を西へ、転々としたのち長門国彦島に孤立してしまった。
 そして栄華を誇った平家が壇ノ浦の戦いで滅亡いたします。
その後は全国に分かれてヒッソリと暮らし平氏の伝説が各所にできました。 阿波国では井谷という秘境に、すぐに切れるように、「蔓」(かずら)で橋を作ったそうです。 (場所は日本3大秘境の一つです)
 人生滅亡されるほど、人から恨まれないようにしたいと思いました。