日 時 平成24年12月19日(水)
場 所 池田泉州銀行講堂
講 師 水野正好氏(奈良大学名誉教授)
称徳天皇は聖武天皇と光明皇后の内親王として誕生し、父・
聖武天皇の病気による譲位で、749年に32才で孝謙天皇として
即位いたしました。
当初は、母・光明皇太后とその甥・藤原仲麻呂のバックアップで
そつなく天皇の務めをはたします。
その後、758年に孝謙天皇は光明皇太后の病気等を理由に淳仁天皇に譲位いたします。
しかし759年に光明皇太后が崩御しますと、孝謙上皇と淳仁天皇・仲麻呂の関係が悪化していきます。
ある時、孝謙上皇は仲麻呂の領地・近江の保良宮で弓削氏の僧・道鏡に会い、その卓越した知識や能力を高く評価して寵愛するようになっていきました。
これを良く思わない淳仁天皇や仲麻呂はついに軍事準備を始めますが、孝謙上皇の知るところとなり、仲麻呂は朝敵として殺害され、淳仁天皇は淡路に流刑となります。
そこで孝謙上皇は重祚して称徳天皇となり、ますます道鏡を重用し、天皇譲位まで考えるに到ります。
これはさすがに和気清麿らに阻止されて、ついに770年に53才で崩御してしまいます。(道鏡は失脚)
歴史は称徳天皇が道鏡に溺れた如く面白おかしく伝えていますが、他方 藤原氏の横専と闘いながらの措置だったとする考え方もあるとのことでした。(写真は称徳天皇廟)