日 時 平成25年1月7日(月)
場 所 園田学園女子大学
講 師 桐藤 薫氏(園田学園女子大学講師)
中国の多数を占める民族は漢民族で、この名称が使用される
ようになったのは、漢王朝の時代に遡ります。
漢の時代は、前漢・後漢合せて約400年と長きにわたり続いた
こともあって、周辺民族から「漢人」と呼ばれるようになったのが
由来です。
漢王朝は、その底流に『五倫五常』がありました。
すなわち『五倫』とは、外向きの規範性を強調したもので、「君臣の義・父子の親・夫婦の別・長幼の序・朋友の信」であります。
『五常』とは、内向きの秩序性を強調したもので、「仁・義・礼・智・信」でありました。
また、君臣関係の道徳である「忠」と、父子関係の道徳である「孝」の対立(優先順位)につきましては、その要素を取り除くため、「孝」の分類を「庶の孝→士の孝→卿大夫の孝→諸侯の孝→天子の孝」とし、「皇帝」もまた「天下の父」であるとして、国は疑似血縁共同体すなわち「国」もひとつの「家」と見立て(⇒国家という)ることにより、「忠」もまた「孝」であるとしました。(「孝経」)
これは結果的に、国家の権力を強くしたと言えるわけですが、そのために王朝が長く続いたひとつの要因でもありました。