日 時 平成25年1月11日(金)
場 所 園田学園女子大学
講 師 松山利夫氏(平安女学院大学特任教授)
1970年代初めからカナダ〜オーストラリアへ波及した
多文化主義は、1980年代に本格化いたします。
オーストラリアでは、主として人口増加を目的に「福祉
多文化主義」を遂行いたしました。
これは各国からの移民と先住民(アボリジニー)を同列に
扱うものでしたが、ただ先住民は所得の再配分の対象にはなりませんでした。
その結果 先住民独特の文化が無視されますが、やがて福祉にはお金がかかりすぎるということで、1990年代に入りますと当局はその政策を「経済多文化主義」へと転換いたします。
これは国にとって役立つ人(たとえば、高度な技術等を所持していて自立できる人等々)だけを移民として受け入れるというものでした。
先住民政策はと言いますと、この多文化主義と並行して別の次元で展開していきます。
たとえば、「アボリジナル土地権法」では、①土地の集団的所有、②聖地の保護等、③狩猟採集等の資源開発、④沿岸の2㎞の囲い込み・・・等々を承認するものでした。
ただ先住民は文字を持っていなかったため、これらの法対応として学者(人類学等)に仕事を依頼することとなり、これにより先住民研究が盛んになっていきました。