鑑真和上と普照

日 時 平成25年1月31日(木)
場 所 池田泉州銀行講堂
講 師 水野正好氏(奈良大学名誉教授)
 日本への戒律伝授に尽力された鑑真和上と普照につきまして、
ご教示賜りました。
 その昔 藤井寺に普照というひとりの僧が居ました。
 当時 日本では私度僧(自分で出家を宣言する僧)が多く、一方
中国では戒律を入門の正門としていたこととの違いを憂慮し、普照は伝戒
僧(僧に位を与える人)を求めて中国へ渡ります。(第9回の遣唐使の一員として。)
 そして留学10年にして揚州大明寺にて鑑真に拝謁することが出来、日本への渡海を懇願します。
 鑑真の弟子達は、①渡海に際し、海賊等が出没してたいへん危険であること、②中国国内でもまだまだ伝戒が必要であること、等々の理由により反対しますが、鑑真は「不惜身命(身命を惜しまず)」と言って訪日を決意いたします。
 しかし第1回目は当局の摘発にあい、第2回目は台風で中止になる等、何度も出国に失敗しますが、753年についに成功し、苦労しながらも大和入りをはたします。
 当初は東大寺で伝戒活動を行いますが、だんだん日本の仏教界も安定してきますと、759年に新田部親王の旧邸宅跡に唐招提寺を建立してそちらに移り、貧民救済活動等にも取り組みました。
 そして763年に76才で永眠いたします。(写真は、鑑真和上像です。)