清盛ゆかりの人々 「建礼門院」

日 時 平成25年2月5日(火) 午後の部で実施
場 所 明石市男女共同参画センター
主 催 (財) 兵庫県芸術文化協会
講 師 茨木一成氏(日本歴史学会会員)
 久寿2(1155)院政期の女院。 平清盛の娘で名は徳子。
高倉天皇の中宮となって安徳天皇を生み、平氏に全盛期を
もたらしました。 寿永2(83)都落ちして寿永4(85)
壇ノ浦の戦いで敗れ入水したが、捕えられて京都に送還され
出家。 大原の寂光院に住みました。 その安徳帝の誕生は平氏全盛の頂点でありました。 寿永3(84)一の谷の戦いで大敗を喫して、海に逃れましたが船は小舟で船酔いも大変、と講師も同情していました。 清盛の最大の失敗は、源義朝の妾の常盤御前とその子の今若、乙若、牛若の三人の子供の助命を行ったことです。 最後の牛若は皆さんご存知の源義経です。 一の谷、屋島、壇ノ浦の決選を経て、平氏を滅ぼす最大の功労者となりました。
 話は変わりますが、「小沢氏は47歳で自民党の幹事長に就任して以来、SPが周りを固めていましたが平成24年12月26日を最後にSPが姿を消した」と新聞に載っていました。 自分の我儘が過ぎると力が無くなった時誰も相手にしてくれません。
 また元東京都知事の石原氏は、日本維新の会の共同代表として今でも力が有るのはご存じの通りです。