光源氏に喩えられた平家の公達

日 時 平成25年2月10日(日)
場 所 夙川公民館
講 師 小林加代子氏(池坊短期大学准教授)
 標記に言う「平家の公達」とは、「平維盛」を指します。
 維盛という人は清盛の嫡孫にあたり、小松内大臣重盛の長男
として1158年に誕生した平安末期の武将です。
 維盛は若い頃から重要な役割を担うことが多く、父を失った後は
源頼朝追討のため大将軍として東国へ下向し、富士川で源軍と
対峙しましたが、戦わずして敗走し清盛の怒りをかいます。
 その後京都近郊の防衛に活躍するも、源義仲迎撃のため北陸へ向かって再び倶利伽羅峠で惨敗し、ついに一門とともに西海へ落ちていきました。
 そして一の谷の合戦で平家が敗れると屋島から南海へ去り(戦線離脱)、高野山で出家しますが、やがて熊野那智で入水して27才の生涯を終えます。
 維盛はかつて後白河法皇の50才の誕生日に「青海波」を舞いますが、この舞いは源氏物語で光源氏が舞ったことから、光源氏にもたとえられたイケメンでもありました。
 平家物語では、「露に媚たる花の御姿・・・深山木の中の桜梅とこそおぼゆれ」と表現されています。
 ただ前述のごとく戦いに連敗し美形でもあったことから、軟弱なイメージが定着しております。
 実際は結構強い軍事集団の将であって、平家物語はフィクションとしてこれらを消し去っているのだとか。