蘇我氏の出自と仏教伝来

日 時 平成25年2月20日(水)
場 所 宝塚東公民館
講 師 直宮憲一氏(考古学歴史研究家)
 6世紀頃に大和朝廷において絶大な権力を誇った蘇我氏に
ついて解説をしていただきました。
 蘇我氏の出自についてはいろいろな説があり、たとえば
①河内国石川郡出身説(武内宿禰の子孫)、②葛城出身説
(大和の南西に勢力を持っていた部族)、③渡来人説(馬子・
入鹿等の動物の名を使用、朝鮮半島から来日)、④モクラ氏の関係説(百済王朝の文献にある氏族)等々があり、今ひとつはっきりしません。
 蘇我氏が倭人か渡来人かは別としましても、その周辺に三韓(百済・新羅・高句麗)から渡ってきた官僚や技術集団が居たことは否定できません。
 蘇我氏が急速に力をつけてきた理由に、「屯倉の開発(管理制度の確立)」「三蔵の支配(財政をつかさどる)」「戸籍等の作成(戸籍のルーツ)」等があり、当時の倭人だけでは成しえなかったと思われることに起因いたします。
 また仏教伝来は、538年(又は552年)に百済の聖明王によって日本にもたらされたとされていますが、前述の蘇我氏周辺に集まってきた渡来人によっても一部が徐々に持ち込まれていたと推測することも可能ではないかと思われます。