僕は父のことを尊敬していて、他の人に対しても、その場に父がいても、
「親父のことは尊敬しています」
とはっきり言います。
僕は親父が好きだし、本当に尊敬しています。
ひきこもっていた頃は、余り接することのなかった二人ですが、ひきこもりから明け、ニートになってからは、本当によく一緒にいて、しゃべったり、散歩をしたりして、ともに過ごしました。
僕はニートの頃、本当にやることが何もないので、父と2〜3時間も散歩したりしました。父は嫌な顔をひとつせずに付き合ってくれました。
夜遅くまで、時には深夜になっても、僕のおしゃべりに付き合ってくれました。
今では長い散歩をすることも、深夜までおしゃべりをすることもなくなりました。(父の健康によろしくないですので)。
それでもおしゃべりはします。話します。いろいろな事を話します。ふと思うこともあります。僕たちは何でこんなによく話し、仲が良いのだろうと。
僕と親父は性格が余り似ていないのです。父は慎重派。石橋をたたきまくって渡ります。僕はかなり逆の性格です。落ち着かないところもあります。
それは親子であっても、別々の人間なのだからと言えば、そこまでなのですが、僕は父に関してはそれだけではないような気もするのです。
僕と父は波長が合うのです。
昔(ニートだった頃)は、父が無理やり僕に付き合ってくれていた感じがありました。それは僕も気づいていました。
ですが最近の最近は違うのです。
二人がそれぞれ思い思いに好きなことをしゃべるのです。言い合うのです。
今、親父がはまっているものが、韓流ドラマです。本当によく観ています。親父はそのことについて、僕に話します。
僕も自分の持っている韓流ドラマの知識の範囲で答えます。言い合います。
その父が言いたい事を、僕も受け止める。父は韓流のことだけは本当によくしゃべります。僕は親父のその少年性(ピュアさ)に触れるのが好きなのです。
ニート〜最近まで、僕がしゃべっていたことを、父はどう受け止めてくれていたのかなとか、最近になって考えます。
それは親子だからとか、そうなのかも知れないし、それだけではないのかも知れません。
もしかしたら、僕も少しずつ成長して、他の人の話を聞くことがうまくなってきたのかも知れないと自惚れたりもします。ですがそれは少しずつです。まだまだ上手ではないのでしょうし、でも少しずつだから、今後成長することも期待できます。
今の僕は自分のことだけを聞いて欲しいというわけではありません。聞いてあげるのも好きなのです。
料理・服装・自分の老い・病気について、母ともよく話します。僕も成長してきているからこそ、母も僕に話すし、僕も受け止めることが出来るのでしょう。
聞いてあげていますよ、ではなく、自然に普通に聞いているから、母も父も自分のデリケートな部分まで話してくれるのでしょう。
僕も心地良く話してもらいたいです。
これからも”人とのしゃべり場”で、いろいろなことについて話し合いたいです。親父やお袋だけではなく、様々な方々と話し合えたらなと思います。
松尾