北京オリンピック・パラリンピック

お早うございます。

4年に一度のオリンピック・パラリンピックが”無事に”終了しましたね。

とりあえず、良かったです。

パラリンピック選手は、本当に頑張りましたよね。大活躍でした。

本当にお疲れ様でした。とりあえず休まれて、次のステップへと向かってください。

と、言わせて頂きたいです。本当にお疲れ様でした。

ところで、オリンピック選手の不振が言われましたね。

個々の選手の皆さんは全力を出して、頑張られましたのですから…

純粋な気持ちで、拍手を送らせて頂きたいです。

何故、勝てなかったのだろう…何故、記録が伸び悩んだのだろう…

その理由は、皆さんがそれぞれ思ってらっしゃることと思います。

これから、選手・コーチの方、専門家の方が考えてゆくのだと思います。

ただ、私も自分なりの思いはあります。

この国ではスポーツを楽しもうという空気が少ないなあということです。

別にそれが悪いとか、いいとかそういうことを述べたいのではありません。

それぞれの国々には、それぞれの歴史、風土、文化に培ってきた考え方があるのだと思います。

それを一概に批判・否定は出来ないのだと思います。

日本スポーツ界は、少しずつ変化してきていますが、基本のベースはこのやり方でやってきたのだと思います。

誰かが変えようとしても、そう簡単に変わるものでは無いと思いますし、また、かえる必要があるのかどうかも私にはわかりません。

ただはっきり言えることは、いわゆる高校の運動部活動,、もしくは大学レベルで部活動をする方が少なくなってきているという事実があるということです。

スポーツのレールを敷くのは大人です。そして、そのレールに乗るかどうか、決めるのはこどもたちのはずでしょう。

やるのも、やらないのも、本来、本人の自由のはずです。

高校で大学で部活をやらないのであれば、自分で自分たちで楽しむ。

草野球、草サッカー、草バスケなど、いろいろと楽しめる思います。

それでも充分にスポーツを楽しめると、私は思います。

ただその楽しみ方では、競技者として、出世はなかなか望みにくいと思います。

選手として成功して、大きなお金を得るのも難しいと思います。

それはひとつの生き方だと思うのです。いい、悪いとかそういう事ではなく。

私は安易に批判・否定はしたくはありません。するのであれば、現実のラインに沿って、どうしてゆけばいいのかを考えてみる姿勢が大切だと思います。

国々には、それぞれ、いろいろな事柄に考え方の傾向があって、もちろん、スポーツにも考え方の傾向があります。

簡単に比較はしにくいと思います。

そして、その考え方の核というものは、その個人の自己を形成する、大切なものだと思うのです。

あの人が悪い、あの国はいいと、安易に批判・否定・比較するのはどうかなと、私は思います。

夏の終わりに考えてみました…。