14年前の今日。私は母になった。

助産院に通っていたので、男の子か女の子か生まれるまでのお楽しみだったにもかかわらず、勝手に「旅人(たびと)」と名付け、あーだのこーだのよく話しかけていた。

『いいお産』のために、毎日お散歩し、スイミングスクール(当時は流行っていた)やマタニティヨガに通い、お気楽ではっぴいな妊婦ライフを満喫していた。
お産のイメージトレーニングも周到に、ひ〜ひ〜ふ〜の呼吸法も練習していた。

ところがっ!予定日の10日前に突然の破水。

のわりに、微弱陣痛が丸二日。産院の階段を重い辞典を持ちながら何度も上り下りしてもいっこうに生まれる気配がない。
生まれたいのか生まれたくないのかはっきりせい!とお腹がはって痛くなるたび苛ついていた。生まれる前から怒られて気の毒な娘・・・

心音が下がったから助産院では無理だからと、病院に行くことになった。
「危ない!」と周りが焦っている中、私は危機感のかけらも感じず、のんびりした子だからちょっと薬を使わないとだめなのね、と思っていた。(思えば私が一番のんきだった)

検診に訪れた待合いのたくさんの妊婦さんたちは、緊急手術のためすみません、と帰らされている。
まあ・・・せっかく来たのに気の毒に・・・と思っていた。

ままままままままっさか!?私が!?手術をするとは思ってもいなかった。

え〜???と驚いている間に手術の準備は着々とすすんでいた。
毛をジョリジョリ剃られて、みたこともない浣腸をされ、私はまな板の上の鯉になった。

やっと私も事の重大さに気づいた。
死んじゃうかもしれない!?
早くださないと危ない!?
我が身におこっている事で、子どものことだった、と知る。

お腹から出たはずなのに泣き声が聞こえない。そのときの手術場の冷たい空気は今も覚えている。
「しっかり息しい」と看護師さんにペシペシされたり、ゴシゴシされたり、きゅるきゅると吸い出してもらったりして、しばらくすると娘はふぎゃあと息をした。へその緒が二重に首に巻き付いて息苦しくなったので、お腹の中で呼吸をはじめて自分のうんちを飲み込んでしまっていたらしい。

こうして、見事私は「いいお産」の夢に挫折し、びっくり仰天ドタバタの手術騒動をすることになった。

この日をふりかえると、生まれて息をすることだけを祈った事を思い出し、そのことを一生懸命支えてくれた人たちや奇跡に感謝する。のに・・・今ではつまらないことを娘に期待しているなあ・・と反省する。

娘の誕生日プレゼント。
数日前に、携帯がほしい!あかん!の大げんかをしたところなので、物を買うのは気乗りがしない。提案してみた。

「おかあちゃんにしてほしいこと言って。なんでもしてあげる」
「そんなんない。いらん」と娘は困惑。
「肩もんで、マッサージしよか?耳かきつきでどう?
絵本読んであげよか?ドライブする?
だっこしておんぶでもええで」

望みの物を買ってもらう事はあきらめたのか、「考えとく」とポツリと娘。ずいぶん考えていたようだ。

どんなプレゼントがほしいと言ったのか、報告をお楽しみに。