うちが他のところと一番違うのは具体的にどうしたらいいかを知ることができるところだと思っています。

こうすべき、どうだったらよかった、ここが悪い、だれが悪い、大変ですね、などはどこでも聞ける言葉ですが、これだけでは正直何も変わらない。

例えば
「子どもの不登校状態を認めればいい、大丈夫です」とだけ言われても、認められるか?
多くの人には無理ではないでしょうか?
不安で、心配で、子どもに口でいくら「いいのよ」と言えたとしても、子どもは親の不安な気持ちを間違いなく感じるでしょう。

では、サポーターは何をしなければならないか?
私はまず法的に不登校がどういう意味を持つかをご説明します。
権利と義務の履き違えを整理します。
その上で、今の学校制度との付き合い方、現実の不登校の子どもたちがどう暮らしているか、不登校後どうなっているか、実際の例をお話したりします。
医者、弁護士、警官、教師、保育士、大学で講師をしている人もいたという事実を伝えます。

不登校の最大の問題は「学校へ行っていない」ことではないと言うことをお話します。

その上で、個々人で違う環境や性格、能力などを踏まえ、今後、ではどうして行ったらいいかをいっしょに考えるのです。

言葉のかけ方、問題行動をどう考え、どう行動すればいいか。
子どもの言葉の真実を通訳することも多いです。
例えば「死ね」という言葉の前に何がついているかをご説明します。

うちだけで抱え込むこともしません。
多くの情報、人、組織とのつながりがあります。
それを最大限使います。

多くの人で子どもを支え親と協力してゆくことこそが大切だと思ってます。

閉じられた場所で子どもが育つとはまったく思えません。
なぜなら、人は皆欠点があります。
だから、それをお互いが理解し助け合うことが必要なのだと私は思います。

「私に何ができますか?」と常に自分に人に問い続けることが大切だと思っています。
できることを増やすための勉強も。
きりがないですが・・・。
頑張っている姿を見せることも大人の仕事のうちですよね!