いろいろなケースで「これは大変!」と言わざるを得ない場合がある。
目に見える形としては、家庭内暴力であったり、リスカ、OD、神経症、などが伴うケース。
精神疾患、パーソナリティー障害と診断されることも多い。
本人が受診しない場合は診断名もついていない。

親だけが悩み、あちらこちらをたらいまわしされたり、酷い場合は人権無視の対処にいたってしまたり、最悪の場合は誰かが命を失うこともある。

そういうケースでよく思うのは、何で今まで、ここに至るまで周囲が何もできなかった、しなかったんですか?ということ。

原因のあれこれ、対処のあれこれは間違いなくあるのになぜ?
ということである。
何に原因があったにせよ、あるにせよ、やれること、やらなければならないことがあるのに。

ここで私が言うのは「親」のことではない。
親は素人、たった2人。
親自身に多くの問題を抱えていることもあるのだから。
多くの責任ある立場の人間が何をしてきたの?と思うのだ。

一部の人は家庭内暴力にかんして「子どものすることは全て受容しなさい、もちろん暴力も、それほど子どもはつらいのだから」と言うらしい。
確かに、私の経験でも「一番つらいのは子ども」であることは間違いない。
しかし、もう一つ突っ込んで言いたいのは、
「暴力を振るっている子ども自身が傷つき、後悔し、のちのちまで苦しむことになっている」という事実である。

だから私は「ただ受容しなさい」という指導は「間違っている!」と断言する。
そのような間違った指導で多くの家庭が壊されていっている。
そうなっても誰も責任は取ってくれない。
親が何回も入院することになったら「逃げてください」とそういう方々は豹変するらしい。
今まで受容してきた親の態度が変わったら、どうせいでも信じることを見失っている子どもたちがどうなるか。明白である。

ではどうすればいいか。
単純なことである。
気持ちは受け止め、暴力は否定すればいいのである。
もちろん否定する限りにおいて自分も暴力は使えない。

私の経験では「暴力に走る子」の多くは自分も何らかの形で暴力を受けてきている。

それにまず気が付くことが必要である。
 つづく