子どもの叱り方2

なぜ私たちは子どもを叱るのか?
「何かを忘れていませんか?」と私は言いたい。

私がよく通る神社の参道。
以前はよく近くの中学生のたまり場になっていたらしい。
私が通りだした頃は、タバコをすっている子、地べたに座って通り道をふさいでいる子達、ゴミを捨てる人たちがいた。

今はぜんぜん。
なぜか。

私がその子たちに注意をするとよく大人たちに「私」が注意された。
心配されたと言った方がいいかもしれないが。
「そのうち刺されるか火をつけられるんじゃない?」と。
今に至るまでそんなことをされたことはない。

私がその子たちにどう言うか。
通りがかりに「肺がんってすごく苦しいんだよ」「早くすい始めると肺がんになる確立が高いんだよ」「障害を持った子が産まれる率が高いんだよ」「タバコ代の3分の一は税金だよ」と。
「そんなところに座っていたら冷えるよ」とか。
ゴミを捨てている前で、にっこり笑ってだまって拾って帰るとかもした。

今はまったくそういうことはない。

二人でたばこをすっていた子たち。
「身体に悪いよ!はやく吸い始めると…」というと「自分たちも止めたいんだけどなかなかやめられない」というので「禁煙ガムとかあるじゃん」というと「おばちゃん、よう考えや、俺らがガムかんでいたらセンンコウに何される?」と。至極もっともな答。(苦笑)

「保健室の先生に頼んで保健室で噛むとかは?」「そうかその手が」なんて話して。
別れるとき(私が車にのりこんだ)その子たちが言ったのは「おばちゃんこれから仕事か?がんばってな!」だった。
「ありがとう!」と別れたが。
もう2度とそこではそういう姿は見ない。
もちろんその後車にいたずらもされていないし。
タバコが止められたかどうかはもちろんわからないが。

「いまどきの子どもは何をするかわからない」などという人がいる。
私はそうはまったく思わない。
「ものの言い方を知らない大人が増えた」とは思うが。

青少年の凶悪犯罪が増えたと思っている人がいるかもしれない。
それはまったく事実ではない。

今飛躍的に増えているのは高年齢者の犯罪である。
その人たちが青少年だった時に青少年犯罪が一番多かったのである。
生育期に文化や伝統を奪われ、まともな生活をおくれなかったつけであるとわたしは考えている。
だから「平和が大切だ」と私は言い続けているのだ。

世界的に見ても、先進国の中で日本の青少年犯罪の発生率は極端に低い。世界から「なぜ?」と不思議がられているのだ。
せひ、事実を、いろいろな資料を自分の目で確かめて欲しいと思う。

それなのに「青少年に問題が」と「なぜ」「誰が」「社会不安をいたずらに高めているのか」。
私たちは充分注意をする必要がある。
大正末期から昭和初期にかけて同じ風潮があったことを私たちは知らなければならないと私は思う。

私たちは「子どもたち自身」の「豊かで(物質のみではない)安全な生育のため」に子どもを叱っていることを自覚したい。

それがすなわち「自分たち自身」のよりよい未来のために必要なのだから。