強迫神経症4

この症状が出るのは、過度な「不安」が原因。
その不安を取り除けたらそれが一番いいのでしょうがなかなかそれができないならば「不安に倍する安心」を与えられたらいいのだと思います。
「何があっても捨てられない」「何かがあったら助けてもらえる」「自分は大切な存在」とかが心にしっかり根付けばいいのだと思います。

先ほど「過度」と書きましたが、ここで周囲が心しなければいけないのは「人によって過ぎる量は違う」ということです。

「これくらいのことで」などと言われるのを聞きますがそれははっきり言って「あなたに言えることじゃない!」と思います。

人によって限度は違って当たり前ですし、子どもは当然経験量などの違いもあって耐性少なくて当然。
なのに、です、
いまどきの子どもは、実際は、大人より以上の不安を抱えさせられています。

よく「いまどきの子はすぐキレる」などと言われますが私は全くそうは思っていません。
ちょっとしたことで切れるように見えたとしても、実はそれまでにたくさんたまってきているものがあるからだと思っています。

コップに盛り上がるように入れられた水。
表面張力でなんとかこぼれずにいます。
今、子どもたちが置かれている状況がそういう状態であると私は思っています。
で、そこに、たった一滴加わっただけでその均衡は破れてしまう。切れる。
一滴以上の水が当然こぼれてしまうのです。
その状態を見て「いまどきの子は」というのはいかがなものでしょうか?
コップをいっぱいにしてしまわない努力が周囲に求められることではないかと私は思っています。
緊張は人を疲れさせます。
「パンツのゴムひも理論」です。
常に引っ張られすぎていると短い時間でダメになる。

パンツのゴムひもは伸びれば元には戻りませんが、人間は再生ができる素晴らしい存在です。

「いっぱいいっぱい」という言葉がありますが、いまこどもたちは「常時」そういう状態に置かれているのだということを私たち大人は知らなければならないと思っています。

人間には常在菌という菌が常にくっついているのはご存知でしょうか?
その菌までやっつけてしまうとどうなるか?
自分を守れなくなるんですよね。
健康に生きてゆくには肌にもおなかにもそういう存在が必要です。

今の日本はその辺がちょっと異常なくらいで、気をつけた方がいいと思います。
共生、協働が大切だということを大人がもう一度確認した方がいいと私は思っています。

シャンプーのしすぎで禿げる。
洗いすぎてかえって危ない菌に負ける。
あまりにも守られすぎて抵抗力が作られないまま大きくなると、
たとえばおたふくかぜのように重大な結果になってしまうようなことが他にもあります。
なんでもほどほどがいいのでしょうね。

しかし何らかの要因で一方に激しく偏った場合その対応も並々でない。神経症の場合も、山ほどの安心、安全がいるのだと思います。
それをどう供給するかのスキルが必要になるのだと私は思っています。

免疫療法のようなやりかたももちろんあります。
しかしそれも、誰にでも通用するというわけではないということを私たちは知らなければなりません。

いろいろな対応法、そのどれが、一人違うそれぞれの人にいいのか?決めつけないで対応することが大切だと私は思っています。