境界性人格障害続き

たとえば、
子どもが何かを食べたいと言う。
作ると食べないばかりか「今頃こんなもの食えるか!私の気持ちがお前にはわからないのか!」と悪口雑言。違ったものをと言うので作っても「おまえの作ったものなど食えるかコンビニで●●パンを買って来い!」と夜中の2時に言ったりする。
その頃にはコンビニのパン置き場は空っぽで捜し求めて町中を探し回ることになる。それも頻繁に。

かなり度の過ぎた愛情のためし行為が延々、暴言暴力を交えながら続く。
強迫神経症などを伴うことも多い。

こういう場合、経験のない人間はいともたやすく「親の躾、育ちに問題がある」といい、片一方は「愛情不足、なんでも受容しなさい」といい、また片一方は「無視しなさい、聞いてはだめ!」というような助言をする。

もちろんどちらも間違いであって、たとえ正しくても生身の人間に実行できることではない。

私が言うのは「大きく広い枠」しかし「その枠は決して壊れないこと」である。

親といえども心的に距離をとること。
物理的距離をとることが出来るならそれも必要な場合がある。

すべて、子どもを憎んだり怖がるようになってからでは遅いのであるから。

親が「この子がこんなになったんは私が悪いから」と自分だけで抱え込み、抱え込まされては改善など決して出来ないと断言する。

適切な距離を取れない子どもの側に合わせているだけでは先がどうなるか目に見えている。

他の障害と違い、人格障害はたいがい何処の病院も門前払い、たとえ入れたとしても適切な対処を望むことは難しい現実がある。

睡眠、不安感の調整には薬を最低限使い、経験のあるカウンセラーや認知療法などをうまく組み合わせることが出来れば、改善すると私は確信しているが、治らないと明白に言った医者が2人居る。
もちろん、治らないのに入院の意味はないと門前払いである。

犯罪行為をしても相手が身内であれば捨置かれ、他人であってもおかしいのだからと立件を見送られ、どっちにしても自分がしたことの責任をとらせない体制がある。
人格障害にこれは一番悪い対応である。

立件しないまでも警官などの怖い人が嫌ほどしかってくれたら同じことはあまり繰り返さない。
こういう場合いくら親が厳ししようとあまり意味はないというか悪影響なのだが。

社会の理解こそが今重要になってきている。
悲しい、酷い、地獄を作らないために。